家康公ゆかりの地出世の街浜松

浜松・浜名湖観光情報

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家康公ゆかりの地

パワースポット

浜松城

家康公が29歳~45歳までの青年期(17年間)を過ごした城。浜松城城主になった人たちの多くが、後に幕府の重要ポストに就いたことから「出世城」とも呼ばれる。春には桜のスポットとしても有名。

  • 写真:東照宮(二公像)

    東照宮(二公像)

    浜松城の前身、引間城の跡地に建つ東照宮。
    天下人となった家康公と秀吉公の二人の武将が訪れた場所ということから、パワースポットとして話題に。
    この二公像の間に立って写真をとると幸運が訪れるかも。

  • 写真:頭陀寺(三公像)

    頭陀寺(三公像)

    激動の時代を生き抜き、活躍した家康公、秀吉公に加え、徳川四天王の一人、井伊直政公が幼少期を過ごしたと言われるお寺。
    三公をモチーフにしたお守りや絵馬もなどもある。

古戦場

  • 写真:三方原古戦場

    三方原古戦場

    元亀3年(1572)、武田信玄と徳川軍が浜松市郊外の三方原台地で激突した戦い。
    家康の生涯で最大の敗戦といわれ、兵の数でも軍術でも劣る徳川軍は総崩れとなった。
    この後、井伊谷領はしばらく武田軍に占拠される。

    浜松市北区根洗町 Google Mapで見る
    石碑:三方原墓園駐車場敷地内(北区根洗町)
    交/JR浜松駅より遠鉄バス⑮乗り場から約35分。「三方原墓園」下車

  • 写真:犀ヶ崖古戦場

    犀ヶ崖古戦場

    三方ヶ原の戦いでの敗戦後、浜松城に逃げ帰った徳川軍が、犀ヶ崖に布の橋を掛け、武田軍をあざむき襲撃し、追い落としたといわれる。
    敷地内の資料館には、三方ヶ原の戦いに関する資料のほか、死者の霊を鎮めるために始まったといわれる遠州大念仏を紹介している。

    [犀ヶ崖資料館] 浜松市中区鹿谷町25-10 Google Mapで見る
    開/9:00~17:00 休/月曜(祝日の場合は翌日)
    交/JR浜松駅より遠鉄バス①⑮乗り場から約10分。「浜松北高」下車

浜松 家康の散歩道

  • 1徳川秀忠公誕生とくがわひでただこうたんじょう井戸いど

    写真:徳川秀忠公誕生の井戸

    江戸幕府2代将軍、徳川秀忠公出生の地

    家康公の側室である西郷局が2代将軍秀忠公を生んだとき、産湯としてこの辺りにあった井戸水が使われたという伝承をもとに作られた井戸です。出生地とされる場所は2説あり、1説は浜松城二の丸の北。もう1説は現在のクリエート浜松西側付近であり、新川交番北側に石碑と石畳の小道が設置されています。

  • 2浜松八幡宮はままつはちまんぐう

    写真:浜松八幡宮

    家康公が逃げ込んだ大楠の洞

    凛とした空気が漂う浜松八幡宮境内に茂る「雲立のクス」。三方ヶ原合戦で敗走してきた家康公がこの楠の洞に逃げ込み追手から身を隠していたところ、突然雲が立ち上がり、神霊が白馬に跨って浜松城へ飛び立ったのを見て勇躍した、という伝説からこの名がついたといわれています。樹齢1000年を超える御神木で、かつて家康公もこの木に武運を祈願したといわれています。

  • 3椿姫観音つばきひめかんのん

    写真:椿姫観音

    悲運の城主、椿姫の伝説の地

    亡き夫・飯尾豊前守に代わり、引馬城主となったお田鶴の方。しかし徳川勢との戦いの末、命を落とします。母同士が義理の姉妹にあたる築山御前(家康公の正室)は彼女の死を哀れみ、塚の周りに100株余りの椿の花を植えたといわれています。椿は毎年美しく咲き誇り、いつしか椿塚と呼ばれ、それが椿姫の名の由来になったと言い伝えられています。

  • 4東照宮とうしょうぐう

    写真:東照宮

    今川家武将の居城であった引馬城
    現在では家康公を祀る東照宮に

    東照宮は1886(明治19)年に創建されました。石の鳥居の横に「曳馬城跡」と刻まれた史跡碑があります。社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られ、家康公を祭神としているお社であることを示しています。 1568(永禄11)年に三河から遠江に入った家康公は今川方の拠点であった引馬城を攻め入城し、城地を拡大し浜松城を築城しました。その後、引馬城の跡地には米蔵十数棟が建てられました。

  • 5五社神社ごしゃじんじゃ諏訪神社すわじんじゃ

    写真:五社神社・諏訪神社

    徳川家の歴史と深く関わる子育て神社

    五社神社は、もともと浜松城内に祀られていましたが、2代将軍秀忠公の産土神(うぶすながみ:生まれた土地を守護する神)として家康公の命で現在の地に遷座しました。また、諏訪神社は3代将軍家光公の命により現在の場所に遷座。徳川家から崇敬されてきた両神社は、1960(昭和35)年に1つの神社として合祀されました。子守り・子育ての神様としての信仰も厚く、現在では七五三の時期になると綺麗に着飾った子どもたちや家族で賑わいます。

  • 6家康公鎧掛松いえやすこうよろいかけまつ

    写真:家康公鎧掛松

    負け戦から逃げ帰り、安心して鎧を掛けた伝説の松

    市役所の西側にある「鎧掛松」。この松は三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでその松に掛けたといわれていることからその名がつけられました。現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったといわれています。また、当時鎧掛松近くの清水で、合戦で疲れた馬のからだを冷やしたことから、松城町に馬冷(うまびやし)という地名が今も残っています。

  • 7浜松城はままつじょう

    写真:浜松城

    徳川15代の礎を築いた出世城
    野面積みの石垣が往時を物語る

    遠江の経路拠点としては引馬城が手狭であったことから、家康公は西南の丘陵地に大規模な築城を行いました。1570(元亀元)年に家康公が浜松城に入城した際に、引馬を浜松と改めたといわれています。現在残っている遺構は天守曲輪を中心とする一帯で、荒く組まれた「野面積み(のづらづみ)」の石垣は、ほぼ戦国時代そのままの姿で残っています。現在の天守閣は昭和33年に、天守門は平成26年に建てられました。

  • 8本多肥後守忠真ほんだひごのかみただざね

    写真:本多肥後守忠真の碑

    三方ヶ原合戦で自ら殿(しんがり)を努めた英雄

    犀ヶ崖資料館の敷地内の東に、本多肥後守忠真の戦功の碑があります。後に「徳川四天王」の1人として名高い本多忠勝は、忠真の甥にあたる人物です。
    武田軍との戦いで敗戦が濃厚になった際、忠真は主君家康公の命を守るため、自ら殿(しんがり)を買って出て、武田軍の猛追撃を食いとどめ、徳川本隊の後退を守りきりましたが、刀一本で敵中に斬り込み討死にしたといわれています。

  • 9犀ヶ崖古戦場さいががけこせんじょう

    写真:犀ヶ崖古戦場

    武田信玄に一矢報いた古戦場跡

    三方ヶ原合戦で大敗を喫し、命からがら浜松城に帰りついたその夜、家康公は武田信玄に一矢報いるべく、鉄砲隊をひきいて夜襲をかけました。地理不案内な武田軍は混乱し、次々と犀ヶ崖の深い谷に転落し、多くの命を失ったと伝えられています。
    また、ここではこの戦いによる死者を弔うための「遠州大念仏」が毎年お盆の時期に行われています。

  • 10夏目次郎左衛門吉信なつめじろうざえもんよりのぶ

    写真:夏目次郎左衛門吉信の碑

    家康公の身代わりとなった勇猛な家臣

    夏目吉信は、1563(永禄6)年の三河一向一揆の時に捕らえられ処刑されるところを、家康公の寛大な処置により助けられました。以来この恩義を忘れることが無かった吉信は、三方ヶ原合戦の際、主君家康公の身代わりとなって敵陣の前に立ちはだかり、討死にしたといわれています。

  • 11普済寺ふさいじ

    写真:

    遠江における曹洞宗の古刹のひとつ

    普済寺は、遠江における曹洞宗の拠点となるお寺です。当初は現在の中区寺島町付近にありましたが、現在の場所へ移転し、広沢山普済寺と山寺号を改めました。三方ヶ原合戦では、兵火にあって伽藍が炎上、その後も災禍により被害を受けましたが、再建されました。なお山門は江戸時代初期に建立されたといわれています。

  • 12西来院戸せいらいいん

    写真:西来院

    38才で生涯を閉じた家康公の正室築山御前が眠る寺

    西来院には、謀反の疑いから佐鳴湖畔で38歳の生涯を閉じることとなった家康公の正室・築山御前の霊廟(月窟廟)がおかれています。またその近くには家康公の異父弟の松平源三郎康俊の墓もあります。毎年4月下旬~5月上旬には本堂前庭の藤が美しく咲き誇り、訪れる人の目を楽しませています。

  • 13宗源院そうげんいん

    写真:宗源院

    徳川家ゆかりの武将が眠る古刹

    宗源院は、普済寺13派のうちに数えられる歴史の古い曹洞宗の寺院です。境内には三方ヶ原合戦の際に奮戦し討死にした成瀬正義や外山小作、遠藤右近など徳川方の武将のお墓があります。また、今川義元ら直筆の市指定文化財「今川公判物」も保管されています。 寺の東南一帯に的場があり、家康公が在城当時ここで弓の稽古に励んだといわれています。

  • 14浜松市博物館はままつしはくぶかん

    写真:浜松市博物館

    浜松の歴史を伝える博物館
    家康公や浜松城下の資料も展示

    ナウマンゾウの骨格標本も人気の浜松市博物館は、1979(昭和54)年、蜆塚遺跡のあるこの地に開館しました。「原始~中世~近世~現代」と展示物で浜松の歴史を知ることができます。
    徳川家康公関連の代表的な資料に「徳川十六将図(徳川四天王)」や「家康直筆の書状」などがあります。また当時の「浜松城下のジオラマ模型」では、浜松が「東海道の宿場町(城下町)」として栄えていた様子が再現され、数々の町名が現在にも受け継がれていることがわかります。

  • 15太刀洗たちあらいいけ

    写真:太刀洗の池

    家康公の正室・築山御前を切った太刀を洗った伝説の池

    1579(天正7)年、家康公の正室・築山御前と長男・信康が敵方と内通したとの疑いから、織田信長の命令で、家康公は2人の処刑を家臣に命じたといわれています。岡崎城から浜松城へ向かうため佐鳴湖を船で渡った築山御前は、待ち伏せていた家康公の家臣により命を奪われ38年の短い生涯を閉じました。その刀の血を洗ったのが太刀洗の池、亡くなった場所が御前谷と呼ばれています。現在太刀洗の池は埋め立てられ、少し離れたた浜松医療センター駐車場の片隅に碑が残っています。